GPT‑5公表後に広がった「#keep4o」は、AI体験の価値が性能中心から関係中心へと移行している現実を可視化した運動である。更新が必ずしも体験の改善につながらないというねじれが露呈し、事業者は“モデルの調達”ではなく“体験の設計”として運用を再定義する必要に迫られているのである。とりわけ、会話の温度感や断り方の穏当さ、説明の粒度や一貫性といった“非機能”が、利用継続の意思決定そのものを左右することが明らかになった点は重い。モデルの刷新は技術的合理性だけでは正当化しきれず、ユーザーが日々積み上げてきた関係性を損なわないかという基準で評価される段階に入ったといえる。

2025年8月上旬、SNSで「#keep4o」「#4oforever」という合言葉が拡散した。趣旨は、GPT‑4o(以下、4o)を利用選択肢として残してほしい、あるいは既定の自動切替から除外してほしいという要請である。このハッシュタグがついた投稿では、4oが記憶してきたユーザーについての情報、4oの“話しやすさ”や“温度感”、断り方の穏当さ、説明の粒度のちょうどよさが繰り返し評価され、モデルの更新でユーザーに最適化されたこれらのカスタマイゼーションが変質することへの不安や、既存の会話履歴・プロンプト資産が効かなくなることへの懸念が示された。すなわち、性能や速度といった機能価値だけでなく、対話の手触りという関係価値が、モデル選好を規定する主因になったことを可視化した運動である。
そこには対話の肌触りや語り口の一貫性、断り方の穏当さといった関係価値が、正答率や速度といった機能価値に並ぶ、あるいはそれを上回る評価軸として定着したという背景がある。4oは多くの利用者にとって、雑談から軽い構想支援まで“肩の力を抜いて”頼れる相手として位置づけられてきた。メジャーアップデートはしばしば出力のスタイルや安全弁の利かせ方、冗長性、創造性の方向を微妙に変えるため、日常のやり取りに蓄積された“慣れ”と衝突しやすい。
この現象はまた、AIを“部品”として扱う供給者論理と、日常の相棒として接する利用者論理のずれを露わにした。供給者は性能やコスト、セキュリティの観点から最適化を図るが、利用者は自らの時間と注意と感情を投じて築いたやり取りの型を守りたい。両者の論理を橋渡しするのが体験設計であり、モデル選定・更新の意思決定を体験KPIと結び直す枠組みである。#keep4oは、その橋渡しが不足するときに生じる摩擦の“可視化インシデント”であると位置づけられる。
体験の連続性を守る設計が必要か
この運動は何を意味するのだろうか。モデルの自動切替やデフォルト置換は運用効率を高めるが、顧客体験の断絶リスクを恒常的に抱える。体験の連続性を確保するうえでは、モデルのバージョン固定とユーザーによる明示的選択を、単なる設定項目ではなくSLAに準じた約束として位置づけ直した方がいいのかもしれない。これは“選ばせる”という発想以上に、“戻せる”という安心を制度化することを意味する。変更が避けられない場合でも、何がどのように変わるのか、どの程度の期間で移行するのか、既存の会話履歴やプロンプト資産がどのように挙動を変えるのかを、事前・事後にわたり具体的に説明する必要がある。ローリングリリースではなく、カナリア配信や限定コホート実験を併用し、ユーザーが自ら試し、納得してから本採用できる導線を設けることが望ましい。
評価の仕組みも更新が要る。オフラインの自動評価は有効だが、会話の手触りや心理的負荷の増減といった“体験の質”は数式だけでは捕捉しにくい。対話満足度、冗長感、共感の伝わり方、自己効力感の変化といった主観指標を、軽量なマイクロサーベイと行動ログの統合で継続測定する二層構造の評価設計が必要である。加えて、スタイルガイドの明文化とその回帰テストも欠かせない。語彙選択、敬語運用、例示の粒度、断り方の方針といった“人格”を仕様として定義し、システムプロンプトとfew‑shotのバージョンをリポジトリで管理する。更新のたびに合成会話で逸脱を検知し、許容幅を超えた変化はロールバックまたは微調整で吸収するという運用が望ましい。
さらに、倫理と安全の均衡をあらかじめ設計する必要がある。厳格な安全対策は不可欠である一方、過度の回避や定型的断り文句は“冷たさ”として体験の質を損ないうる。とくに学習・自己表現・軽微な相談支援の領域では、心理的安全性を確保しつつ、過度の擬人化を抑制するガイドと表示を整備すべきである。相談窓口の提示や利用上の留意点の明示は、関係価値を損なわずにリスクを低減するための前提条件である。
ポスト4o期の戦略的示唆
単一ベンダーや単一モデルへの依存は、体験断絶の単点故障点となる。API層の抽象化、評価基盤の内製、代替モデルの常時待機といった備えはコストではなく保険である。公開ウエイトや自社推論を含む選択肢を持ち、段階的に切替えられるルーティングを平時から運用しておけば、更新の衝撃を吸収できる。ここで重要なのは、切替を“最後の手段”にしないことだ。平時から複数モデルを並走させ、用途ごとに最適な“手触り”を選び分ける習慣を醸成しておけば、特定モデルの変更が全体の体験を揺らすことは少なくなる。
事業設計の観点では、情緒的に好まれる旧モデルを選択肢として残すことは、最新モデルの普及を阻害するとは限らない。むしろ、レイテンシや上限、価格、利用制限の設計で差異化し、併存させることが解約抑止と満足度維持に資する。重要なのは、旧モデルを“過去の遺物”として扱うのではなく、特定の体験価値を担う構成要素として再定義する姿勢である。プロダクトとしては、ユーザーが“今日は考えごと中心だから4o”“今日は重めの推論だから新モデル”といった具合に、目的に応じて自然に選び替えられる導線を設けるのがよい。選択は煩雑さではなく、安心と可用性の提供としてデザインされるべきである。
法規制・社会受容の面でも示唆は大きい。更新に伴う挙動の変化が、説明責任や苦情処理のプロセスと結びつく局面は増える。変更履歴の公開、影響範囲の明示、ロールバック方針の提示といった透明性は、信頼の通貨である。教育やカスタマーサポートの現場のように対話が業務の中核をなす文脈では、体験の連続性が成果物の品質に直結するため、モデル更新は実質的に“業務変更”として扱うのが妥当である。
とにかく#keep4oは、AI更新の帰結を“性能の最大化”ではなく“関係の安定”という尺度で点検せよという示唆である。技術的合理性と供給者の都合だけでは、日常の相棒としてのAIが築いてきた関係を置き換えることはできない。体験の連続性と選択可能性、変更に対する説明責任を同時に満たす運用へ移行できるかどうかが、ポスト4o期の競争力を左右するのである。